カナダの移民史について〜その2〜

みなさんこんにちは、Pigionです。

 

前回に引き続き、カナダの移民史についてまとめてみたので

共有したいと思います。

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初めに、カナダはどんな国か紹介します。(なぜ〜その1〜で紹介しないw)

カナダは人口が約3400万人(そのうち約100万人が先住民)、

10の州および3の準州から成る国家で、

前回紹介した通り、移民者が入植し始めたのは約400年以上前です。

 

ただし、イギリスから独立したのは1867年なので、

カナダ自治領としての歴史は約150年です。

(事実上独立国家となったのは1931年なので

厳密には約100年ということも可能です。)

 

公用語は、英語とフランス語ですが、

それ以外にも複数の公用語を独自に指定する州も存在しています。

例えば、トロントでは非ヨーロッパ系人口が半数以上を占めるため、

緊急電話(911)では150言語以上が使用可能です。(すごい、これ!)

 

近年では毎年約20万人がカナダに移住しています。

しかし、カナダ中に移民が散らばっているわけではなく、

全移民の80%が大都市(バンクーバートロントモントリオール)に

集中しています。

 

カナダの概要を学んだところで、移民史を年表で見てみましょう。

〜カナダの移民史年表〜

1763年:フレンチ・インディアン戦争の終了

    以降イギリスによる支配が続く

1783年:アメリカ独立戦争が終了し、

    アメリカのロイヤリスト(王党派)がカナダに移住

1867年:英領北アメリカ法の制定により、

    カナダがイギリスから独立

    (当時カナダにおける移民の92%がイギリスまたはフランス系)

1869年:最初の移民法制定

1931年:カナダが事実上独立国家となる

1947年:市民権法を施行

    移民もカナダ人も同等の権利を有するとされた

1948年:世界人権宣言に署名

1950年:市民・移民局を設置

1952年:1952年移民法制定

    移民行政を簡素化、選別、許可、送還に関する大臣の広範な権限を規定

1960年:カナダ権利の章典

    東洋人にも公民権を与えることとし、生命・自由・財産が法的に保障された

1962年:ホワイト・カナダ移民政策を事実上廃止

    差別的移民政策を撤廃した最初の国家となった

1963年:二言語・二分化主義

1967年:ポイント制移民システムの導入・人種差別条項の撤廃

1969年:英仏両語がカナダ公用語となる

1970年:10月危機

    ケベック分離者による誘拐・テロ事件

1971年:多文化主義宣言

1972年:カナダ人権法

1973年:多文化省創設

1976年:ケベック分離主義党がケベック州議会選挙に勝利

1977年:ケベック州公用語をフランス語に限定

1982年:憲法の権利、自由憲章

    →ケベックは受入を拒否

    →最高裁違憲判決

1988年:多文化主義法(世界で初)

    全カナダ人が、宗教、人種、出身国に関わらず、カナダ社会のあらゆる側面に完全に参加できるようにすることをカナダ政府に求める

1990年:長期的移民計画を発表

    移民にさらなる門戸を開く新5か年移民計画を公表

1994年:市民権・移民省(CIC)創設

1997年:香港返還

    バンクーバーに大量の広東語系移民が押し寄せる

1999年:イヌイット・インディアンの自治権を承認

2002年:移民・難民保護法発効

    カナダ移民計画の経済・社会・文化の基本目標の大要を示す

2004年:カナダ国境管理庁(CBSA)の創設